「ビッグコミック賞」(68〜77年)
および、第14回(75年)「ビッグコミック賞 佳作」入選 
               谷口作品「遠い声」について

 「ビッグコミック賞」は、雑誌「ビッグコミック」誌上で、新人の登竜門として、展開された、新人賞である。年2回 おこなわれ、1968年に第1回、そして1977年第18回で、終了し、その年より、「第1回 小学館 新人コミック大賞 一般コミック部門」に、移行するかたちをとり、03年でその賞も、52回を数えるに、いたっている。(「小学館 新人コミック大賞」は、他に児童部門・少年部門・少女女性部門・ヤング部門がある。)

 「ビッグコミック賞」「佳作」「準佳作」が、設けられていたようである。たいへん、受賞が難しかった(!)らしく、全18回で、「ビッグコミック賞」を、受賞したのは、「70年第4回 戸峰美太郎」氏、「75年第14回 一ノ関圭」氏2人(!)だけである。「伝説の漫画賞」の感すらある。

 全18回の、受賞者の名前のなかには、他に、日野日出志氏 西岸良平氏 御厨さと美氏 やまだ紫氏 諸星大二郎氏 弘兼憲史氏 わたせ青三氏などの、名前がみうけられる。

 「ビッグコミック賞」は、前述のように、77年第18回で、終わってしまっているため、わたしが、渉猟した限りでは、ネットでも、歴代受賞者のサイトが、ない。そこで、自分で「歴代受賞作品および受賞者」のページを作成した(こちらです。)(「98年ビッグコミックオリジナル 新人コミック大賞増刊号 4/12号」掲載「新人コミック大賞 ビッグコミック賞 歴代受賞者一覧」より)



 1975年 第14回の佳作入選作に、「谷口ジロー」先生の「遠い声」がある。この回の、「ビッグコミック賞」が、先の「一ノ関圭」氏「ランプの下」である。

 谷口先生は、同じ回に、「上の」賞を、持っていかれ、いわば、ライバルの「一ノ関圭」氏の作品を、他誌(「スタジオ・ボイス誌 93」)において、「私の好きなマンガ」に、挙げられている。いかにも、(良い意味で)谷口先生らしい・・・・・と思うのだが、どうだろう。(わたしは、この「スタジオ・ボイス」の記事で、一ノ関作品を、知ったのですが、とても好きになりました。)



 この第14回の選考結果、選評などが、75年の「ビッグコミック 7/10号」に、掲載されている.。これを、読むと、それらのほか、当時の「ビッグコミック賞」の、様子がうかがい知れる。

 結果は、「ビッグコミック賞候補作品」7編から、「ビッグコミック賞」は、先の夢屋日の市(一ノ関圭)氏「らんぷの下」。佳作は、谷口先生の「遠い声」の他1編、計2編。準佳作2編である。準佳作のなかには、「弘兼憲史」氏の名前が、みうけられる。

 また、選者が、豪華!である。「石森章太郎 楳図かずお さいとう・たかを ちばてつや 手塚治虫 藤子不二雄(2人) 水木しげる 横山光輝」の各氏である。
 これだけの漫画家が、一堂に会して、選んだかどうかは、不明である。しかし「選評」などを読むと、意見が、まちまちで、おもしろい。

 例えば、谷口先生の「遠い声」についての、選評で、ある選者は、「・・・・ラストシーンのもりあげ方を、もいひと工夫したらかなり完成した作品になったと思う。」とのべ、他の一人は「・・・・・最後のシーンは、絵の上からも、ストーリーの上からも、なかなかの迫力。・・・・」と反対の意見を述べている。
 あるいはまた、「炭焼き(マタギ)の男と、都会のハンターの色分けが欲しかった。」と述べている選者に対し、「都会人と山のマタギの描き分けも成功しています。」という選者もある。

 選者の先生方の意見を、まとめるのは、たいへんだったであろうし、選者の意見が、まとまらなかったから「ビッグコミック賞」が、でるのが、少なかったのかもしれない。

 しかし、この「第14回ビッグコミック賞」応募作品は、総じて「作品のレベルが、高かった」と、ほとんどの選者のが、選評で述べている。
 


 「遠い声」は、75年「ビッグコミック増刊号 10/1号」および、98年「ビッグコミックオリジナル 新人コミック大賞増刊号 4/12号」に、掲載されている。単行本未収録作品である。

 「遠い声」は、25ページの短編で、谷口先生得意の「動物・自然もの」である。内容は,「炭焼きの仕事をしながら、暮らしているマタギの主人公。非道な猟師たちに、冬眠中に、ハッパで傷つけられ危険な、手負い熊を、追って山へ。そこには、悲惨に傷つけられ、動けなくなった熊が・・・・・。主人公は、鉄砲で、安楽死させてやる。」といったもので、自然動物への、愛情が、表現されている。

 個人的にわたしは、こういう作品が、大好きである。



 「遠い声」およびそれによる受賞について、谷口先生は、次のようなコメントを、残してみえる。

(当時の自分の作品が、「暗い」といわれていたので、)「”そうか、明るく描くは、背景の斜線やベタは少なくして、登場人物の喜怒哀楽をわかりやすい表情でえがこう”と。そんなことを心がけてえがいた・・・・。」

「これはうまく描けた、売れるんじゃないかなーと、いろんな青年誌に持ち込んだけど、結局ダメで・・・・・。熊の猟をするマタギという職業はメジャーじゃない、話が地味過ぎるということで。」

「作品を寝かせてもしょうがないから、ビッグコミックのまんが賞に応募した・・・・。・」(以上 98 ビッグコミックオリジナル増刊号)

「賞金10万円を手にしたとき、初めてマンガ家になれるかもしれないと思った・・・・。」(82 プレイボーイ)

(審査の厳しいので有名な「ビッグコミック賞 佳作」に 入選し)「これで食っていけるなぁ、と思ったら、全然、原稿の依頼がこないんですよね。あとで考えたら、その掲載誌をもって出版社をまわるべきだったんですよね(笑)。」(83 雑誌「紙魚」)

などである。



 なお、1969(S44)年にも、谷口先生は、応募されたらしく、7月25日号のビッグコミックに、「第2回ビッグコミック賞」の、「第1次予選通過作品」に、「This is the END=谷口治郎」の名前がある。(他の回にも、応募されてみえるかもしれない。)